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苦難も前向きに受け入れられる様になった今でも、母と10歳で死別したことへの不幸としての苦しい思いをずっと背負って生きて来ました。母のことを思うと悲しい気持ちでいっぱいになって何十年経っても「母」=「悲しみ」でした。しかし白川好光さんとの出会いで、「俺はお母さんと10歳まで暮らせていたんだ。幸せにいっぱい包まれていたんだ。」ということに初めて気づきました。そして「お母さん本当にありがとう。俺を生んでくれて、俺を育ててくれて本当にありがとう」と。母と別れて37年目にして心から思えました。母がどういう気持ちで私を産んだのだろう。どういう気持ちで育ててくれていたんだろう…と。自分のことばかりでなく、母の気持ちもわかってあげようと思える様になりました。私が辛いときや、血友病で出血が止まらなく輸血をして不安なとき…。頭部の手術前の恐怖や手術後なかなか出血が止まらなかったとき…。そんな不安のときも母が支えてくれていた「お母さんが見守ってくれているから大丈夫だろう。」って。亡くなって37年が過ぎたけどいつの時も母は私と一緒に生き来た。そしてこれからも一緒なんだということに白川さんとの出会いが私に気づかせてくれました。そして母との思いだけでなく人生のあらゆることへ不平不満を持つことが白川さんの前ではとても恥ずかしくなりました。 「白川さんが教えてくれた分福」 勝俣工一 「幸せはひとりじめしちゃダメ!」 幸せのエネルギーって人間ひとりが自分の中に溜めておくことが出来る容量って 限りがあるのでしょうね。幸せをひとりじめして幸せの許容範囲を超えてしまうと何かがくずれて行ってしまうのでしょうか。。 だから、いま幸せならだれかに幸せを分けさせていただくことが大切な生き方なのでしょうね。自分の幸せって自分だけのものじゃないのですね。 人生苦しい時でも体が健康な人なら。道で転んだ人を助けることも出来る。 体が弱くても心は健康であれば心が病んでいる人に希望を抱かせてあげることも出来る。 みんな、みんな誰かのために何かしら出来るのですね。 白川好光さんが「勝俣さん。わたしが思うには人間として分福(ぶんぷく)が 最も大切なことなんじゃないかな。」って言ってました。 白川好光さんの波乱に満ちた人生の中から感じた生き方なのでしょうね。 何か真理がこの言葉の中にあるような気がしました。 とてもとても大切なものが。。 |
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